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ウチの大将に聞いた話 
ある花金(ハナキン)の夜、宮澤はTVKの報道カメラマン
”大将”と 野毛へでかけました…。


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大将はTVK最古参カメラマンです。
「誰がジジイだと?」グーでげんこが飛んできそうな怖い人です。
で~も女性にはそんなことないんだなあ、これが。

野毛で一杯飲みながら、…正確には何杯だったか記憶にはありませんが、
とにかく前々から1度聞いてみたかったことをいろいろ聞いてみました。
大将は昭和14年、お父さんの仕事で一家が住んでいた外地の生まれ。
大勢の兄弟の末っ子です。敗戦で帰国し、今も残る方言は或る地方仕込み、
みんなが大将の口真似ををする時には欠かせません。
中学生に上がると、1番上のお兄さんの持っていたロバート・キャパの
自叙伝「ちょっとピンボケ」を読んだり、小笠原さんという人が書いた本で
日本のニュース映像の草分け的カメラマンの松本久弥さんに憧れます。
大将曰く「なんか独特な撮影をする人だった」。
その時分から、カメラマンを志したそうです。
 


*小笠原氏のフルネーム、著作者不明。別松本久弥さんをモデルにした映画
「ぶっつけ本番」が、フランキー堺さんの主演であります。
この映画を見た記憶があるという、ビデオSALON編集部の保坂登さん
によると「日本最初のニュースカメラマンがモデルで、大陸からの引き上げ者が
列車で駅に到着するのをホームに降りて撮影中に、別の列車に引っかけられて死ぬ
というラストでした。」といった内容で、現実に松本カメラ マンはこうした
列車事故で亡くなっています。
もう1つ、「日本を横断する 映像発表会」の懇親会で映画評論家の登川直樹さん
の話から、松本氏が大勢のカメラマンと横並びで撮影する時、誰よりも1歩前へ
出ることを心掛けていたという逸話を聞きました。
当時はズームレバーがありませんでした。


 
さて大将は、東京で大学を卒業後、外地時代の大将一家と懇意だった新聞記者に
ツテを求めてニュース映画会社にみごと就職、ラッキー!
「若造には、西独のアレフレックスのカメラは使わせては貰えなかったな。」
なんて言ってはいても、事件を追って国産のカメラを担ぎ、日本中を飛まわる
のは夢でした。
25歳になった時、会社がベトナム戦争の映画を作ることになり、
ベテラン・ カメラマンと共に大将もかのベトナムの地を踏みます。
取材は政府軍のヘリコプターに乗り込み、作戦に従軍して行われました。
2~3時間も飛ぶと、その日の作戦地点に到着します。
「凄まじい戦闘や残虐な拷問は、いくらもあった。」
戦場に下り立った大将は、一体どこから撮り始めたんだろう?
 
引き返せない戦場の最前線にやって来ました。
「大将、ヘリコプターから下りたら、まずどこから撮り始めるの?」
「すぐには撮らないな。」
深刻な事件・事故の現場にいち早く駆け付けたカメラマンなら、カメラを
担いで中腰で走り出すでしょう。誰よりも早く、誰よりも被写体に近付く
ために。しかもここはゼンブ現場だ。
きっと何かコレだ!という決定的なきっかけがあるに違いないと、思って
いたのですが…。
 
「戦闘や拷問、村に焼き討ちなんか追っかけていたらキリがないんだ。
俺は初めからそんなもんは撮らないって決めていた。そういうのは、
状況を説明する必要最小限でいい。」
 
大将が戦場で撮ろうとしたのは何だったんだろう?
 
「俺ら取材する人間はアメリカ軍と似た格好をした。政府側にくっついて
取材に行くんだから、そういう服じゃないと危険だからだ。
村人の方は 殆どが反政府側で、昼は農作業して夜にはゲリラ軍になる。
或る時、1人 の女の人にカメラを向けたら、助けてくれって必死で
手を合わせるんだ。 カメラの黒い長いレンズが、銃で自分を狙っている
ように見えたんだな。 俺に殺されると思ったんだろう。
その顔をクローズアップで撮った。」
 
戦争は理不尽な死を強要する。静止の境目の瞬間が焼き付けられた。
「戦場の日常での喜怒哀楽、そんな状況で喜こんだりってそうないもん
だけど、兵隊じゃないふつうの人間の感情から、この戦争を出そうと思った。」
大将たちが撮った映画「泥と涙のインドシナ」は現在、残念ながら見ることは
出来ません。
 
作品とは別に、ベトナム戦争の速報として報道された映像で
大将は或る晴れがましい賞を受賞しました。
えっ?初耳だ。
「スゴいなあ。で、背広?紋付き?どっちを着たの?」「馬鹿。」
授賞式に出席したのは帰国後すぐプロポーズした幼馴染みの奥さんで、
大将はその日もカメラを担ぎニュースを追いかけていたそうです。
 
*大将がベトナムにいた時期は、ちょうどスチールの沢田教一・石川文洋
カメラマンが活躍していた頃と重なります。実際、この2人とは同じヘリコプター
に乗り合わせたりしたそうです。
機会があれば、沢田氏の生涯 を描いた映画「サワダ」や、石川氏の著作
「戦場カメラマン」を一度ご覧 になってみて下さい。因みに、大将と一緒に行った
ベテラン・カメラマン たちは決して最前線に出なかったということです。
「怖くなかったの?」と聞くと「若かったから。」という答えが返ってきました。
帰国後もずっとニュース・フィルムを撮り続け、28年前にTVKへ入社。
以来、神奈川の報道一筋だった大将は10月末に定年 を迎えます。
送別会はやっぱり野毛だあ!
 
お読み頂いた「ウチの大将に聞いた話」は、99年のビデオ通信に載せた内容に、
この度若干加筆したものです。
会社をあげてての送別会は 中華街、報道主催では野毛で行い、特に後者の会には、
TV・新聞各社から 多数の参加を得て、”大将”という愛称が実に大勢の仲間に
親しまれていた ことを実証しました。
また、今あらためて、誰かに是非話を聞きたいと思い 、それを相手に受け入れて
もらえたことの有り難さについて感じています。
ありがとう、大将。だけど、これ読んだらグーでげんこが飛んできそうだわ…。
その時はSVCの皆さん、宜しくね。
「一体今、何が起こっているのか?ニュースはTVを見ている人に役立つ 内容であること。」
これが最後に、大将が残してくれた言葉です。
 



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